FXトレーダーという職業を知ったのは今から8年前。
まぁ、よく考えれば銀行や証券会社に企業トレーダーがいて、莫大なお金を動かしているんだろうけど。。。
その時まで個人トレーダーという職業があって、それで生活する人がいるだなんて考えもしなかった。
何せ日本の教育で育ったので、高校卒業後は大学に行って、企業に就職して安定な暮らしを夢見る。。。みたいな。
そんな道しか考えていなかった。
親からは、良い大学に入って、いっぱい勉強して、良い会社に就職すれば、良い人生が待っているから。。。と育てられた。
良い大学、良い会社、良い人生って何だ?
大学生の時は、よく分からないけど就職が私の目標みたいな感じで一生懸命就活したのを覚えている。
私は科学者になるのが夢で、小学生の時から理科と算数にしか興味を持たなかった。
理系の大学へ行き、生命科学を専攻して、卒論では簡単に言うと癌の研究をしていた。
自分の理想通りの会社に就職したので、大学卒業時には自分には良い人生が待っているかと思っていた。
それが就職した途端、崩れ落ちた。
技術職で採用されたのに、配属先は社長秘書。その時には分からなかったが、この最初の配属先のせいで、科学者への道が完全に閉ざされた。
社会というのは理不尽なことだらけ、人間の嫌なところもいっぱい知ることになり、何とかその場所で3年間もがき苦しんだが。。。
このままでは気が狂いそうになり、この場から脱出した。
そして、良い大学、良い会社、良い人生、なんてクソくらえ!と思って日本を飛び出した。
あれから20年。私の人生は良い人生だった。
何も分からない、何もできない、自分の持っていた武器みたいなものが全く通用せず、最初は苦しい道を歩き始めるが。。。
この国に来て最初になったブライダルプロデュース&コーディネーターの仕事は、私にとって天性の職業だと思った。
非常に楽しいやりがいある仕事だった。
その後に自分のビジネスを立ち上げてみたいと思うようになり、大学で勉強したこともフルに活かせると思い、美容サロンを経営した。
ブライダルの仕事以上に自分の天職だと気付き、ようやく両親にも認めてもらえるようになった。
が、ここに来て、45歳で新たな仕事に挑戦する。FXトレーダーだ。
以前から興味を持ち始めていたが、どのタイミングで勉強ができるだろうか?と、それが悩みの一つでもあった。
天職だと思ってやっていた美容サロンのオーナー兼セラピストとして忙しい毎日を送っていたら、なかなかそっちの道は切り開けない。
そんな時にコロナショック。ロックダウン。
これはピンチなのかな?チャンスなのかな?
20年前の日本を飛び出した時の記憶がよみがえる。
自分の持っていた武器をすべて捨てて、何もないところからのスタート。不安と緊張感と程よい高揚感。
今までも根性だけでここまで来たんだ。根拠のない自信だけで。。。
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